「此の花(このはな)」きんとん製:塩瀬総本家
此の花は梅の花の異称。小豆餡を芯にして、紅白のそぼろを半分ずつ植え付け、紅梅白梅の美しさをかたどっています。
紅白の彩の対比が見事ですね。
裏千家十一代家元の玄々斎(げんげんさい)好みのお菓子で、嘉永3年(1850)に「咲分(さきわけ)」と銘されました。
同様のきんとんで、しべを連想させる黄色餡入りのものもあります。
玄々斎は、立礼式といって、畳に座るのではなく、椅子と机を使って行うお茶の創始者として有名。
「此の花」は、【難波津の歌】に由来します。
【難波津の歌】
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
(難波津に梅の花が咲いたよ。冬の間はこもっていた花が、いよいよ春だと、梅の花が咲いたよ)
【難波津の歌】と呼ばれるこの歌は、第16代仁徳天皇が即位される時に、渡来人の王仁博士(わにはかせ)が、梅の花に添えて歌ったとされる歌です。
競技百人一首では、競技のはじめに「序歌」という百首のいずれにも属さない特別枠の歌を詠みます。全日本かるた協会は、この【難波津の歌】を序歌に定めています。