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江戸時代の百科事典に載っているお菓子

「浅路飴(あさじあめ)」求肥製:とらや 

厚みのある求肥を直方体に切り、その全面にびっしりと香ばしい白ごまをまぶしたお菓子です。『あさち』として貞享4年(1687)に初めて創作されました。 

 

菓銘の「飴」は、舐める飴(キャンディー)ではなく、求肥の意味だそうです。

 

また、元々は「浅」ではなく「麻」の字が使われたともされ、ごまが麻の実に似ていたことからそう呼ばれたという説もあります。 

 

江戸中期に出版された日本食についての百科事典『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』の中にも「浅茅飴」という表記で出てきますが、それによると、当時京都で作って江戸へ運ばれていましたが、江戸でも作られるようになり、身分の高い人々がこのお菓子を食したと記載されています。 

 

モッチモチの求肥の食感と、白ごまの豊かな風味がくせになる大好きなお菓子ですね。 

 

国立国会図書館蔵『本朝食鑑』(東洋文庫から現代語訳版が出ています。) 

(出典:金魚のことは【金魚屋の息子】http://www1.kcn.ne.jp/~puni/ )